【1968】YOASOBI「勇者」で国鉄赤字83線を歌います【路線名記憶】

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2024年2月24日 08:07:10 (日本時間)

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概要

時の流れは無常に 人を忘れさせる<br>そこに走った軌跡も 錆び付いていく<br><br>1968 (昭和43) 年9月 財政が悪化した国鉄に対し、赤字ローカル線の廃止を促す意見書が提出された。廃止すべきとされた路線は83線区 2,600 kmにも及んだ。国鉄はすぐに沿線自治体との廃止協議を進めるが、各地で反対運動が起こり、協議は進まなかった。<br>1972 (昭和47) 年7月に田中角栄内閣が発足すると、この取り組みは凍結された。この間に廃止できたのはわずか11線区 120 km。一方、この間にも鉄建公団による新線建設が進められ、新たに11線区 160 kmが新規開業している。<br>結局、赤字ローカル線の本格的な廃止が行われるのは1980 (昭和55) 年の国鉄再建法成立による特定地方交通線の選定以降のことであった。<br>赤字83線に指定された路線の多くも、再度廃止の議論がなされ、バスや第三セクター鉄道に転換されていった。分割民営化後も存続した路線や、第三セクター化された路線のなかにも、その後の取り組みで廃止になった路線が存在する。<br>また、現在存続している路線の多くも決して状況が改善されたとはいえず、近い将来存廃の議論が起こることが予測される。これらの路線が1日でも長く存続できることを祈るばかりである。<br><br>画像出典元<br>spaceaero2, CC BY 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>tsuda, CC BY-SA 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>Rick300, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>Bakkai, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>Suikotei, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>spaceaero2, CC BY 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で<br>TK wxrx, CC BY 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

最終更新日時: 2024年2月29日 17:38:01

YouTube取得情報: 2024年2月29日 17:20:52

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